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2003年からの読書日記

人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束作者: 澤地久枝,中村哲出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/02/25メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 62回この商品を含むブログ (17件) を見る

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中村哲医師・・・すごい日本人がいることを知ることができました。
ペシャワールは町の名前(アフガニスタンとの国境沿いの町の名)なんですね。
伊藤和也さんが殺された事件の時などに会の名前は何度か耳にしたことがありましたが、ペシャワール会中村哲医師のパキスタンアフガニスタンでの医療活動を支援する目的で結成されたそうです。

ペシャワール会HP)
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index.html

PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長である中村哲さんは1946年生まれ。
1984年にパキスタンペシャワール・ミッション病院ハンセン病棟に赴任、アフガニスタンにも活動を広げていきます。
2000年には大干ばつに見舞われたアフガニスタンの村々で水源確保事業を開始。
飲料用井戸約1600本と直径約5mの灌漑用井戸13本を掘削、をカレーズ(伝統的な地下水路)38ヶ所を修復。
2009年8月には24.3キロ(2010年2月には25.5キロ)の灌漑用水路を完成させたとのこと。


>求められていながら、誰も行く医師のいない場所があれば、そこへゆく。なすべきことを誰もなさなければそれをやる。それがこの二十五年間ゆるがない中村哲の流儀であり、〜。

まさにタイトル通りの生き方!澤地さんの言葉がぴったりの人生だと感じました。


沙漠化したアフガンの土地を緑の土地に蘇らせ2万人いなかったのが20万人以上が帰ってきたという話は本当に素晴らしいです。
現在もかな?本では日本人ただ一人で現地に残り陣頭指揮をとっているそうです。
淡々と語られている印象ですが、寒暖の差が激しい気候の中の作業や現地の人達との意思疎通、資金の調達などこの事業をやり遂げるには言葉に尽くせぬ苦労があったと想像できます。


読んでいて日本人について考えさせられました。


北朝鮮拉致事件は許されるべきことではないが、日本も過去に朝鮮人労働者を強制的に連れて来てそれ以上のことをしたという話などお二人が日本人についての嘆きを語られていたのが特に印象に残っています。

澤地>私は、日本人は、いままでの歴史のなかでいちばん堕落しているのではないかという気がします。

  >「自分のところだけでよければいい」になって、そこからはみ出していった人たちは「自己責任」とかいって切るでしょう。

中村>自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚、これがなくならない限り駄目ですね。



9.11の同時多発テロ後、アメリカの報復攻撃にただちに賛成した日本についての話についても厳しい指摘。


澤地>情けないです。独立した一国としての判断というものがないんですから。

中村>私はあのとき、日本は独立国ではないと思いましたね。

中村>日本人としての誇りさえも失ったのかということですね。


タリバン=全て悪だという風に刷り込まれてしまっていますが、そうではないということ。


中村医師のこの言葉が全てを表していると思います。

>日本人が死のうと、米国人が死のうと、アフガン人が死のうと、死は死です。人の命は同様に尊い。〜



逆に日本人のよさ、若い人達への希望も語られていました。

ペシャワール会会員の会費と寄付によって、十六億円の水路建設費用はまかなわれている。日本人はこの事実を誇りにしていいと思う。カネが万能の退廃した社会にあって、ペシャワール会のサポーターとなった日本人の「善意」を。



忘れてはいけないのが中村医師の活動を支え続けている奥さんの存在。
感謝しているけれどありがとうって言えないというのはお人柄だとは思いましたが。

お子さんは5人。
双子で生まれた次男さんが脳の神経の難しい腫瘍で10歳で亡くなられたという話は読んでいてとても辛かったです。
身を切られるような思いで仕事をされていたのでしょう。
そして、辛くて苦しい一カ月だったでしょうけど最後に側にいられたのはよかったんでしょうね。



中村医師は己をあまり語ろうとしない方のようですが、あとがきで「警察の取り調べもここまでは」とおっしゃるほどの澤地さんの粘り強いインタビューと説明文のおかげでとても理解しやすかったです。
今回の共著、澤地久枝さんの功績も大きいでしょうね。
渾身の一冊だと思いました。
たくさんの方に手に取ってもらいたいです。