はぴの本棚

2003年からの読書日記

猫を抱いて象と泳ぐ作者: 小川洋子出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2009/01/09メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 91回この商品を含むブログ (209件) を見る

タイトルがまず謎だしチェスの物語と耳にしていたので読み始めるまでは不安でしたが、やっぱり小川ワールド。
死の影が見え隠れする中、ひっそりとした静けさに満ちじんわりと心に沁みてくる物語でした。


なんとなく『博士の愛した数式』にもつながる雰囲気だと思いました。
数式とチェス、全く違うものだけれど美しさを感じるのは同じかもしれない。
何かを失っている主人公、そして周りの人々が優しく彼を支え見守っているのも似ているような気がします。



主人公は後にリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになる生まれつき唇の奇形がある少年。
幼い頃に両親を失い、弟と共に祖父母に育てられています。
ある時、回送バスで暮らすマスターと出会いチェスを教わったことから大きく運命が動き始めます。



リトル・アリョーヒンがたびたび思い出すマスターの言葉「慌てるな、坊や」も印象的でしたが、


>「チェス盤には、駒に触れる人間の人格すべてが現れ出る」
 「哲学も情緒も教養も品性も自我も欲望も記憶も未来も、とにかくすべてだ。隠し立てはできない。チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ」

>「チェス盤は偉大よ。ただの平たい木の板に縦横線を引いただけなのに、私たちがどんな乗り物を使ってもたどり着けない宇宙を隠している」



マスターや老婆令嬢のこんな言葉を聞くと、チェスが全く分からない私でもチェスの海をゆらゆらと漂ってみたいと思えるのでした。


少年が心の中で描いていた友達、象のインディラとミイラ。
チェスを始めたことで彼らが現実のものとして登場するというのもなんだかうれしかったです。


祖母が言っていた神様が施した普通の人にはない特別な仕掛けはチェスの能力だったんですね。
どんどん上達していく少年ですが、チェス盤の下で過ごす独自のスタイルが定着してからは体の成長も止まってしまいます。
人形”リトル・アリョーヒン”に入ってから海底チェス倶楽部で過ごす刺激的な日々、老人施設エチュードで過ごす穏やかな日々どちらも興味深く読みました。



結末は少し切なかったです。
ミイラとの手紙のやり取りがなんともいえずもどかしかったのでなおさら・・・
でも、痛ましい事故だったにもかかわらず読んでいてもあまり悲しさを感じないのは不思議でした。
そう思ったのは直前までのリトル・アリョーヒンの満ち足りた気持ちを感じていたからかも。
彼自身にとっては幸せな最期だったんじゃないかと思いました。


装丁も素敵で印象に残ります。
読み終わった後で改めて見るといい物語だったなあとじんわり余韻に浸れました。